Setsuhi Shiraishi -Interpretation-



The Baltimore Museum of Art
https://www.youtube.com/watch?v=cfLRkCbu0yE

Engram * Yamada kikaku
https://www.youtube.com/embed/rHafRJfVWq4

Instinct Moments
https://www.youtube.com/watch?v=ifjfnN-A5GU





Setsuhi Shiraishi and Yvan Knorst
https://www.youtube.com/embed/PHPdgSWtAaw

Setsuhi Shiraishi * Gessui Kuroda
https://www.youtube.com/embed/37eGIbMaVRk

Diners Club Ginza Lounge
https://www.youtube.com/watch?v=VyWd2H-AGg8





Engram * Yamada Kikaku
https://player.vimeo.com/video/359783315

shojusennennomidori
https://player.vimeo.com/video/135664020

Rocky Mountain PBS
https://youtu.be/6zr-YWiwHt





https://www.facebook.com/setsuhi.shiraishi/videos/1019137388115035/?l=6709629795071378848
The Soulages Suit - Yoshiyuki Oki
https://www.facebook.com/setsuhi.shiraishi/videos/1164298543598918/?l=2795901154316710906
Hideo Sekino
https://www.facebook.com/setsuhi.shiraishi/videos/1047912301904210/?l=905851197470338431
RYOANJI John Cage











「Interpretation-白石雪妃の美の内奥について」 phase 1 Akiyuki Ueda


【序として[映像1]より】

(The Baltimore Museum of Art)

音楽が空間にいきわたる。
筆が最初の着地をする。

次の瞬間には、それはもう滑らかに始まっている。
書なのであろうか、線なのであろうか、川のようなもの。
空間は既にゆるやかに変容のなかにある。

このとき、音楽も情景を描きはじめており、書かれたものは、抽象のなかでその情景と結びついていく。

しばらくすると、書と音楽が既に一体となっていることに気付く者もいるだろう。結びついて流れ出したイメージは、もはや切り離すことはできない。

音楽のつなぎ目、転調があるとき、彼女の表出も同時にその新しい流れに呼応する。少なくとも見る者には、少しの違和感もなく、そのように見える。

また、ここで重要なのは、演奏者も彼女の書や、彼女の書く姿を見ながら演奏していることだ。つまりあるいは、彼女の書が音楽に展開をもたらしているとも言える。

・・・

書家と書は、どこへ向かっているのか。
それはいつ終わるのか。
空間を書が満たし、そのような問いが生まれるころ、落款が押される。

実演は、作品を残して割とあっけなく終わるものだ。
残された書は、まだ濃い余韻のなかで、静かに時間の中へ戻っていく。


【phase 1について】

この企画での私の役割を記しておきたい。
書家である白石雪妃について、その美の内奥を詳らかにすること。

舞台の演出家である私が、彼女の芸術に問いかける。

白石雪妃、書家。

彼女の実績を語るのではなく、私は私が知り得た彼女の美に向き合う。

ここで私は解説をするのではない。また、批評するのでもない。
あくまで言語を介して、彼女の芸術の美に現在進行形のレコーディングを行う。

店主からは、よく彼女について、茶会記の開店当初からの盟友ということを聞いている。
茶会記のWEBページのTOPに掲載されている屋号の書は、彼女のものだ。

今回の企画は、茶会記の主催企画である。
折しも、新型コロナウィルス(COVID-19)の出現により、社会は新たな局面をむかえている。
芸術も必然的に新たな局面に立つことになるだろう。

そうしたタイミングでの核心的な企画であるが、この巡り合わせを好機としたい。
phase 2では、実演と対話のライブを行う予定である。


【[戦争と一人の女]より】


原書
    
Photo:Kae San  design:yamasin(g)
    
photo:前澤秀登 design:yamasin(g)

2017年に私が演出をした演劇公演、坂口安吾原作「戦争と一人の女」では、彼女に題字を揮毫してもらった。

原作は、戦時中にどうせ皆死ぬのだからと言って、肉欲的な同棲生活をしていた男女の話である。

題字の依頼の際は、細かい要望まではせずに原作や公演の説明だけをした。
それまでに面識はあり、彼女の作品を見たことはあったが、ちゃんと話をしたのはその時が最初であったように思う。

後日、複数の題字の候補が送られてきた。私はひとしきり考えて、最後は直感に従って題字を選んだ。
他にバランスが整っている候補もあったが、選んだ題字には不安定な魅力を感じていた。

この題字の全体が、原作の小説に登場する「女」を表しているようで、引き込まれるものがあった。眺めるほどに、生きた感触が立ち現れてくる。

暗い欲動に身悶えするような「よじれ」
綱渡りをするような「細さ」
ふてぶてしくも生命力にあふれた「強さ」

原作と同様に「戦争」と「女」が、不思議なバランスで共存している。
書という芸術に関して、私がこの題字から得た印象は大きい。


【ライブ-ジャズ-即興】

彼女が影響を受けたという言葉を引用する。
ビル・エヴァンスが、マイルス・デイビスのアルバム「Kind of blue」のライナーノーツに書いたものだ。

         
レコーディング風景      This pic appears courtesy of JazzWax by Marc Myers.      Setsuhi Shiraishi      2008


「芸術家が自発的にならざるを得ない日本の視覚芸術がある。芸術家は極薄い紙に特別な筆と黒い水(墨)を使って書く際、動作が不自然になり中断されると、線は乱れ、紙は台無しになる。消去や修正は不可能だ。芸術家は熟考が介入することのできない直接的な手法を用いて、手と脳のコミュニケーション(交感)により、瞬時にそのアイデアを表現させるという特別な鍛錬を積まなければならない。」

書を、特別に鍛錬された瞬間的な視覚芸術だと看破している。
そして彼女は、ここに記されている瞬時の表現のために、いつ求められても応えられるための準備をしているという。

その一つは身体性としての技術の鍛錬であるだろう。
では、精神性としては、何が彼女の覚悟を準備するのだろうか。

即興では、真価が問われる。
一回性の瞬間の渦中では、それは音楽であれ、ダンスであれ、ほんの些細な迷いも露呈する。

確かに、私は彼女の筆先が迷うのを見たことはない。
しかし、迷いとは別の次元の、彼女の書の思想の片鱗が、やはりそこにはあるように思う。

私の印象として、彼女は実演のときに、常に凜然として、自身が書きつつある書を見ている。
また、筆に墨を含ませているときや、彼女が手を止めているとき、その時間さえも即興の渦中にある。

私はこのとき、彼女が見ているのと同時に、待っているように見える。
何を待っているのか。自分が動き出すことを。

動きが、書を形成していく。
しかし、その動きをもたらすのは、彼女にとっても何だかわからない長い時間なのではないか。
彼女は、自分が自分によって動かされるために長い時間を見ているのではないか。

書には、時間が宿っている。
文字が表す意味以上に、この時間が宿ることで、書は芸術なのだと思う。
そしてこれは、沈黙と言える時間だ。

即興というときに、一般的なそれは動的な表出を指すことが多い。
しかし、彼女の実演から感じるのは静的な時間で、そこでは沈黙の美が表出している。

意味ではない、イメージですらない、書という形式に流れる時間。
それを待ち、それに耐え、その沈黙に今ここで呼応しようとする精神の表れ。
私はそれを実演の筆先に見ている。

2020年4月24日  上田晃之









sakaiki@modalbeats.com




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当初は雪妃さんと上田による対談等も考えていましたが
昨今の「チャット・SNS的」な状況とは一線を画する路線で参ります。

もっとゆっくりと
このような機会を伸ばしていければと考えています

そこから美についての新しいSomethin' elseが生まれてくるかもしれません。
そのようなことをささやかな夢として。
phase 2でお会いできることを楽しみにしています。

福地 史人